「南方の薔薇」憂愁 − 懊悩の日々 −
喪服の花嫁
再婚者であるコンスエロが、色物の花嫁衣装をまとうのは当たり前。しかし、黒は極めて珍しい。というよりは、明らかに異様である。「喪服を着て結婚式に臨んだ」というのが、衆目の一致するところ。ある意味では、正鵠を射た見方だろう。
2006年10月、カンでの遺品展で再度目にしたときは少し様子が異なり、衣装に疲れを感じた。着付けや照明の違いもあったのだろうが、一旦展示した後のたたみ方や保存に問題があるのかも知れないし、最初に使用されてから75年間、布地にとって最適とは言えない環境で保存されていたであろう事を考えると、着付け状態での展示そのものに無理があるのかも知れない。
クサンティペかコンスエロか − 希代の悪妻? −
歓喜の告白 − あの「薔薇」は君だよ −
アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ
1944年7月31日
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サンテックスの紅いバラ
La Rose du Petit Prince
Paul Webster 著
情熱のひと。言うまでもなく、ただ一人のサンテックスの正式の妻。しかし私には、「妻」ではなく「永遠の恋人」のように思われます。

サンテックス撮影と伝えられています。
私とは駄目でも、彼女とならばデキルのでは?
マリアの処女懐妊からしてそうなのだが、キリスト教は女性の処女性を異様に神聖化し、崇拝する。それが実社会の男性支配と結びついて、女性に対する苛烈な純潔強要となっていった。結婚という形で一人の男の支配下に入るまで、女は処女であることが、神が定めた当然の規律であった。ヴァージンヴェールだのヴァージンロードだのと、婚礼儀式にまつわるキリスト教用語は、花嫁の処女性を前提として組み立てられている。離婚は認めず、死別すれば生涯喪に服するものとされたから、処女でない花嫁はあり得ない。式典に用いられる花嫁衣装は、処女性を象徴する白(ヴァージンホワイト)一色である。
現実には、若くしての離婚・死別は珍しくはなく、処女ではあり得ない花嫁が結婚式に臨む事態も起きる。処女でない以上、白い衣装をまとうことは、神を欺こうとする冒涜である。再婚の花嫁は、色物の衣装に身を包むこととなる。前夫の名残りを色濃く残しての再婚では不都合だから、通常はごく淡い色調の、ピンクやブルーが用いられる。真っさらというわけには行かないけれど、この後、新たな夫の色に染め上げられることを象徴する色合いである。
コンスエロはフランスでは歓迎されなかった。とりわけダゲー家の人々は彼女を忌み嫌った。「伯爵家にふさわしい女ではない!」 サンテックスが最も愛した末妹ガブリエルでさえ、兄の妻に迎える女性は処女で清純な深窓育ちの令嬢であることを願ったに違いない。ダゲー一族からの風当たりはことのほか強かった。ただ一人サンテックスの母親マリーが味方してくれた以外には、四面楚歌の状況と言って良い。このような状況下で、サンテックス自身がどれほどダゲー家の人々に立ち向かってくれたかは、はなはだ心許ない。こともあろうに、そのダゲーの館で披露の宴を催すのである。黒い花嫁衣装は、気丈なコンスエロが選んだダゲー一族へのカウンターパンチに違いない。「そうよ、おっしゃるとおり私はこれで3度目の結婚。でもそれは、トニオが是非にと望んだことなの。私に何の非があるというの?」
式に臨席した人々はさぞ驚いたことだろう。非常識な花嫁衣装は、ダゲー家の面目をまる潰しにした。当惑するサンテックス。ダゲー一族とコンスエロの確執は決定的なものとなった。
2005年10月、グラースで開かれたコンスエロ遺品展で、この花嫁衣装を実見する機会に恵まれた。保存状態はきわめて良好で、70年以上の時を経たとはとても信じられない美しさを保っていた。おそらく、ただ一度だけ袖を通した後は、大切にしまい込んであったのだろう。
撮影は許されなかったので、ここに映像をお見せできないのが残念である。ガラス越しではあったが、衣装の作りの良さは実感できた。色は褪せておらず、深みのある漆黒を保っている。レースも傷みを見せていない。すぐにも着用できそうな、しなやかな質感であった。「喪服」というよりは、あえかな華やぎを内に秘めた婦人用の略礼服である。結婚式に臨席するご婦人が着用していたのならば、何の違和感も感じさせないことだろう。品格を感じさせる黒の衣装に身を包み、木の葉模様の黒いレースを頭から垂らしたコンスエロは、凛とした美しさを漂わせていたに違いない。勝ち気な彼女は必至に考え抜き、最高の演出をひねり出したのだろう。怒り狂うダゲー家の人々に向かって、「3度目の私が着る花嫁衣装はない。だから、礼服を着たまで」としらを切るコンスエロが目に浮かぶ。
貴族というものは、
「『星の王子さま』をよく読んだならば、だれもバラの花のモデルといわれて喜びはしないだろう。」とステイシー・シフは言う。女性である彼女にしてこの程度の理解しか示されないのかと、コンスエロへの同情を禁じ得ない。
5千のバラ達とは決別し、王子は身も命も捨ててバラのもとへと帰ってくるのである。サンテックスと彼女との夫婦生活がどのようなものであったかを考えるならば、手紙の中に見つけた「バラは君だ」と言うくだりに、気も遠くなるほどの歓びを覚えたであろうことは想像に難くない。
新婚当初の二人は熱愛と表現して良い間柄であった。絶望的な事実上の破局を経て、ニューヨークでは、また互いに愛し合う日々を取り戻しつつあった。「バラは君なんだ」の一言が、コンスエロにとってどれほど大きな意味を持ったことか。

Consuero de Saint-Exupéry 著


もう1枚の別の絵にしてしまった。コンスエロの茶目っ気が伝わる。
1957年8月

フランス上空で航空任務遂行中
行方不明



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「割れ鍋に綴じ蓋」と言いますが、(女漁りに明け暮れたサンテックスほどではないにせよ)コンスエロも(当時の基準からすれば)貞淑とは言い難い「尻軽女」でした。でも、彼女が淫乱であったというわけではなく、気さくで誰とでも本気で付き合ってしまう彼女の性格が、そうした結果を招いたのだろうと思われます。 サンテックスが死んでからは、彼の功績を広めるために心を砕き、生活費を稼ぐ意味もあって、勢力的に講演活動を行っています。それぞれの場所でサインを求められ、実に気さくに要求に応じていますから、彼女の直筆に関しては「書き散らした」と言って良いほど多く残されています。しかも、比較的最近まで彼女は「悪女」と見なされて人気がなく、偽造サインの心配は低いものでした。彼女の署名がある書籍の価格が高くなってきたため、偽筆の可能性を排除できない残念な例も出始めています。 |
![]() 1946.10., Random House, New York |
![]() 1945.07.02 発行の Brentano 版 Oppéde |
![]() 1957.12.01 発行のガリマール版 Le Petit Prince ![]() トゥールーズ飛行場の便箋を使って書かれた |
![]() 1962.09.28発行のガリマール版 Le Petit Prince 空白扉に描かれた図と献辞。 |
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![]() Privat Editeur, No. 00414。サイン:編者二人 (Avec la Sympathie des Auteurs), N.H.Guillaumet, Consuelo de Saint-Exup ry (En souvenir de mon mari), 他2人(tres Amicalement) |
![]() 1959 年版のプレイヤード版サンテックス全集。1972.11.18 の日付。 |
![]() 1947.06.16 発行の nrf(Gallimard) 版 Oppéde |