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ロリータコンプレックス Lolita complex(略してロリコン)という言葉はご存じだろう。上記のように、ナボコフの小説がその語源である。発表するやロリータ症候群 Lolita syndrome という言葉が奉られ、異常性欲の代表格にされてしまった。日本に於いては更に変形して、本来とは異なる意味で使われることが多い。 日本での特殊な変貌はさておき、少女/幼女を対象とした男性の異常性欲を分類すると、以下のようになる。
魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類、いずれをとっても性的成熟までは幼形の特徴を持ち、性的なアタックの対象から外されている。人類に於いても基本的には同じで、上記3類は「異常性欲」に分類されるのが当然である。ただし、性的成熟の完成後は、なるべく若い個体が好まれたことは疑いがなく、(時代・人種・宗教による差はあるものの)ニンフェット後期を性的対象とすることは必ずしも異常とは呼べない(たとえば、イスラムやヒンドゥーではアリコン半ばまで全く合法。源氏物語の若紫も数え年で10歳)。そのため、12歳以下を対象とする性的願望を小児性欲 pedophilia として異常にし、ロリータ年齢は過早ではあるものの異常とはしない立場がある(小説中のロリータは、積極的にハンバートを挑発する。思春期の少女に対する性愛は、エフェボフィリアの一種である)。 |
| † 成魚を直接食害しなくとも、川を下る幼魚や遡上する若年個体を補食することにより、上流域の魚群を絶滅に追い込む。 |
| * 内藤訳こそが「非正統」であるというのが、私の主張である。好き嫌いは個人の裁量範囲であるから、自由にすればよい。それとは異なり、原作に照らしてどのような解釈が「正統」かは、好みの問題ではない。冷静な議論と、その結論の公開が、外国文学を理解するには必須である。「気に入らない」から邪魔をする、俺様の望み通りの世界を作るのだというのでは、話にならない。 |
| ** 親鸞の「悪人正機説」を拠り所として、悪事をはたらいた者が「我こそ阿弥陀如来の本願に添う者」と自らを誇ること。ここで親鸞批判・歎異抄批判なぞしようものなら、泥沼の宗教論争に巻き込まれかねないから、深入りはしない。興味がある方は各自お調べ願いたい。 |
Le Petit Prince を漫然と読むと、子供賛歌のような誤解をする記述がある。サンテックスはそんな底の浅いことをいっているわけではないのだが、一部のファンはこの誤解に夢中になる。「おとなの心は曇っている!」「子供の澄んだ心だけが『みえないもの』を見ることが出来る」「あれこれ詮索するのはおとなの証拠!」etc., etc. 。慢心・無知・身勝手が「星の王子さま」を理解できたことの証拠だと言いつのるのである。
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敵を恐れることはない。せいぜい君を殺すだけだ。 味方を恐れることはない。せいぜい君を裏切るだけだ。 もの言わぬ人をこそ恐れよ。 彼等は人を殺しはしないし、君を裏切りもしない。 だが、その暗黙の合意があればこそ、 世の中に裏切りと殺戮が横行するのだ。 |
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ロベルト・エベルハルト 「ピテカントロープ最後の皇帝」より
ブルーノ・ヤセンスキー 著,江川卓・工藤幸雄 訳 |
| 孔子西家有愚夫、不能識孔子是聖人、乃曰、彼東家丘。 (孔子家語) |
. . . . . 横文字を
縦にしただけで独創性が
ないように思われがちだ
が、そうではない。日本
の翻訳文化は、知識人た
ちの創造力と想像力なし
には生まれなかった。
と述べた後、最後部分で書名の日本語化について:
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. . . . . . . .
と、翻訳は文学そのもの
だ。ラディゲ「肉体の悪
魔」は「青春のうずき」
が正しいが、意訳の方が
いい。モーパッサン「女
の一生」は直訳の「ある
人生」ではつまらない。
サン・テグジュペリ「星
の王子様」も直訳の「小
さな王子様」では、夢や
悲しみが伝わらない。
と結んだ。
「肉体の悪魔」も「女の一生」も「星の王子さま」も、「直訳ではつまらない」と決めつけるには大いに問題がある *。
星の王子「様」は論外として、あの作品のどこに「夢」があるというのか。日本語訳すら、読んでいるとは思われない。この著者は、三作とも原文で読んではいないのだろう *。
書名は、内容と不可分のものである。キャッチフレーズとしてのおもしろさと書名としての優劣は、別の基準で判定しなければならない。原作も読まないで、書名の翻訳を論ずるのは、資格不足というべきものである。
単に有名作品であるというだけで埋め草同然に扱われ、見当違いのコメントをつけられるのでは、作品はたまったものではない。有名新聞の一面コラムとしても内容が薄すぎ、とりわけ、この結論ではコラム全体の意図が(独断と誤りを含んだ)「軽い読み物」と化してしまう。マスメディアの質の低下が、こんなところにまで現れているのだ。
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* 「肉体の悪魔」Le Diable au corps は、直訳である。(『「青春のうずき」が正しい』というのは何処から出てきたのか?) 『「女の一生」Une vie は直訳の「ある人生」ではつまらない』も説得性がない。「女の」は入れても構わないが、内容を読めば「女」であることは明白であって、標題に謳うほどのものではないし、あったからといって解釈の助けになるものでもない。「女」一般に拡げられる内容ではないから、強いて入れるなら「ある女の」とすべきものだが、本質的に蛇足である。「ある人生」の方が明らかに優れている。 |
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新聞記者のように、毎日々々締切時間に追われて文章を書いていると、どうしてもマンネリ(=ジャーナリズムの対蹠)に陥りがちになる。一般紙でありながら、芸能誌・スポーツ紙並みのくだらない語呂合わせ見出しが平気で使われる昨今のありさまは、整理部の質の低下をまざまざと反映・露呈するものであろう。 それとは異なり、文学者が作品を脱稿してその作品名を推敲するに際しては、いかにして内容を端的に表すかを必死に模索するものである。その結果選ばれた標題は、安易に「意訳」してよいものではない。
♪Quand refleuriront les lilas blancs . . . ♪(白いリラの花が今年もまた咲いたら . . . )を和訳するのに、リラ【あるいはムラサキハシドイ。ただし、元歌はドイツ語圏のオーストリア。「ニワトコ」が正しいとする説があるが、“Flieder”にはリラ ( = spanisher Flieder )という意味もあるので、der weiße Flieder を les lilas blancs とする仏訳は、誤りではない】では日本人に解らないから、(白い)スミレに変えるというのは許される。書名 Le Petit Prince を「星の王子さま」とするのは、まったく次元の違う話である。 |