1941年12月7日(現地時間)、真珠湾の騙し討ちによって、待ち望んでいた参戦の口実を得はしたものの、アメリカ大統領 F.D.ルーズベルトは被害の大きさに愕然とした。自慢の戦艦群が壊滅的被害を被り、主力艦を失った大平洋艦隊は一挙に三流海軍に転落してしまったのだ。航空母艦が無傷だったことだけが唯一の救いとなった。しかし2日後には追い討ちが来た。英国首相チャーチルが不沈戦艦と豪語した最新鋭のプリンス・オブ・ウェールズが、随伴した老朽巡洋戦艦レパルス共々、日本海軍航空隊の餌食となってしまったのだ。今や大平洋は、あの忌々しいジャップの海と化しつつある。被害については箝口令を敷き国民には知らせていないが、戦死公報が各家族に届く頃には隠し通せなくなる。幕僚長たちに厳命した。「東京を攻撃しろ。一日も早く。どんな手を使ってでもだ!」
軍人たちは頭を抱えた。「大統領は事態が判っていないのではないか?」「それどころではない!」 フィリピン空襲では航空部隊が壊滅状態。おまけに弾薬庫の誘爆によって全魚雷を失い、極東潜水艦隊は偵察用にしか役立たなくなっている。フィリピンはもう持ちこたえられない。それでなくとも、あのロシア大平洋艦隊(日本では、旧い所属の「バルチック艦隊」と呼び習わしている)を撃破したことで知られる聯合艦隊の末裔と渡り合うのは大変だったのに*、今となっては正面から出くわさぬよう逃げまわるしかない。真珠湾で壊滅してしまった艦隊を早急に立て直さなくては、西海岸は丸裸同然なのだ。だからといって、大西洋艦隊を回航するわけには行かない。ドイツを叩き潰す方が先決だ。「一体どうしろというのだ!」
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* 大和(ヤマト)の実態をまだ知らない(1941年12月16日竣工。武蔵の竣工は1942年8月5日。開戦時、日本海軍はこの2艦以外に10隻もの戦艦・巡洋戦艦を擁し、アメリカ大平洋艦隊に対して、航空母艦・戦艦・重巡洋艦いずれにおいても優勢であった。ただし、アメリカが建造中の新型戦艦群が就航すれば一気に逆転されることは明白で、優勢を維持できる最終ラインが1942年だった。この様な事情から、対米開戦時期の決定は実は海軍主導で進められた)。もし彼等が大和・武蔵のことを知っていたら、ハルノートはなかったろう。ゼロ戦(零式艦上戦闘機,レイシキカンジョウセントウキ)や酸素魚雷の性能が判っていたら、当面、日本との戦争は避けたに違いない。【ドイツを潰した後で良い。2 - 3年時間を稼げば、太平洋でもアメリカ海軍が優勢になる。やがて戦略敵となることが明白なソ連に対峙させて、アジアでの防共の楯に利用できればもっと良い(シベリア割譲の密約をすれば可能だろう)】 ただし、大和・武蔵は、単に時代遅れと言うだけでなく、その防禦甲鈑は、所期の強靭性を発揮できない見かけ倒しの欠陥品だった。【マニアックな内容になりますが、興味がおありの方はこちら 大和魂で鉄は切れない へ。】
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大統領命令を無視するわけには行かないが、水上艦艇を日本本土に近づけるのは、ウサギをオオカミの巣に放り込むようなものだ。しかし、日本に一番近い飛行場であるミッドウェーや中国奥地から日本本土に作戦行動が取れる「脚の長い」爆撃機は存在しない。
いろいろな案が検討された。「これで行ってみるか?」 脚の長い陸上攻撃機を航空母艦から飛び立たせるという、子供向け漫画のような案が俎上に上った。もちろん、陸上機では着艦はできない。仮に可能だとしても、帰投を待って日本近海をウロウロしていれば、プリンスオブウエールズを葬った中攻や一式陸攻が日本本土から殺到してくるに決まっている。敵機動部隊だって駆けつけるだろう。そうなれば真珠湾やマレー沖で猛威を振るったあの日の丸の悪魔どもに、寄ってたかってなぶり殺しにされるのは目に見えている。発艦だけだ。 できるか?そんなこと。陸上機だぞ! それに、何処に着陸するんだ?
一番飛行甲板が長い空母はどれだ? 滑走距離が短くて飛行距離の長い爆撃機をリストアップ。海軍機ではどうにもならなかった。陸軍機でやるしかない。 オイオイ正気かよ? 他に手があるのか?文句を言うんだったら代案を出せ!
検討の結果、正気の沙汰ではないにしても可能性はあるという結論になった。中型爆撃機ノースアメリカンB-25B(ミッチェル)に燃料タンクを増設し、不要な装備を取り外して航続距離を伸ばす。大統領の面子さえ立てばよいのだから、上空を通りすぎながらの一航過爆撃で充分だ。精密爆撃をするわけではないから、照準装置も外してしまおう(これだって秘密兵器のひとつだ。撃墜されて日本軍の手に渡ったら、奴等の爆撃精度を上げることになりかねない)。機銃さえも殆どを取り外した。
空母は新品ホヤホヤのホーネット。最新鋭艦だ。こっそり日本に忍び寄って、一撃離脱(ヒットエンドラン)を敢行する。爆撃機搭乗員は全員志願を募った。とは言え極秘の作戦。大々的に募集できるわけはない。目星をつけた搭乗員を個別に説得する。生還の可能性はかなり低い。(この過程で、なぜか部外者の民間人、それも外国人であるサンテックスが参加を申し出た。加えられるわけがない。調べてみると、操縦士としての腕もヘタクソで事故歴が一杯ある。馬鹿め! 作家として人気があるので、扱いには気を配る必要がある。幸い英語ができない。それを理由に断った。)
機体の改造と並行して、白線を引いた短距離滑走路での発艦訓練を開始。その間にもウンザリするようなニュースばかりが飛び込んでくる。フィリピンは占領された。あろうことか、なけなしの空母群の一隻サラトガが、潜水艦の魚雷で撃沈されてしまった*。それもハワイの近くでだ! シンガポールは陥落した。 オーストラリアのポートダーウィンが空襲された。 ロサンジェルス沖に潜水艦がやってきて、あたりの海岸を砲撃した。 スラバヤ沖で海戦があり、米英蘭豪の混成艦隊はボロ負けして、大平洋の西半分には、もうまともな主力艦は残っていない。 航空部隊は出撃する度に半数近くが未帰還機になる。何でもゼロという名の悪魔のような戦闘機がいて、こいつに追いかけられたらもうお仕舞いだということだ。操縦しているのはドイツ人らしい*。2対1以上でなければ対戦してはならぬと通達が出ている。俺たちゃぁ護衛戦闘機なしでそいつらのホームタウンに殴り込むんだぜ!
1942年4月2日、緑色に迷彩を施した陸軍機を飛行甲板に並べるという、異形のホーネットはゴールデンゲートをくぐって出撃した。巡洋艦と駆逐艦、タンカーまでを引き連れてサンフランシスコを後にする。 またまた嫌なニュースだ。南雲艦隊がインド洋にまで進出して、イギリス東洋艦隊は全滅した。何と、爆撃命中率が80%以上だと! やつらは余裕の演習気取りで突撃体形を組み、空母目がけて編隊急降下爆撃までやってのけた*とか。クソッタレメ!
4月13日、ハワイからやって来た空母エンタープライズを中心とする機動部隊と合流。ハルゼー中将麾下に入り第16機動部隊となる。エンタープライズの戦闘機隊が上空を警戒、偵察隊が進路前方を索敵する。18日の朝が明けようとしている。海面はまだ暗い。午後になったら時間を見計らって発艦後一路日本を目指し、夕刻または宵の口に目標上空に到着、投弾後は闇に紛れて中国へ向かう作戦だ。ところが . . . . .
「敵飛行機見ユ . . . . . 」突如として電波が飛び込んできた。電波は強力、発信源は近い! 犬吠埼までまだ650浬もあるというのに、第23日東丸に発見されてしまったのだ。空母2隻を中心に巡洋艦4隻・駆逐艦6隻を従えた機動部隊は、木造漁船に機関銃1丁を積んだだけのこの仮装哨戒艇#に軽巡洋艦を差し向けた。チョコマカ逃げ回る小型船にはてこずった。目標が小さすぎて、命中弾が得られない。1時間もかかってやっと撃沈。砲弾を千発近くも消費してしまった。その間に哨戒艇は8本もの無電を打ちまくる。「敵ハ空母三、巡洋艦 . . . . . 」
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# 第5艦隊第22戦隊所属。第23日東丸は第2哨戒隊(23隻)に所属し、第3哨戒隊(18隻)と交代して帰路についていた。【無電は第2哨戒隊旗艦の粟田丸(特設巡洋艦)が本土へ中継した。】
![]() エンタープライズの戦闘機隊が監視艇狩りを行い、日東丸以外に計11隻が襲撃された。
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500〜400浬まで近づく予定だった。ここからでは、着陸予定の中国・浙江省まで燃料満載でギリギリの距離。向かい風に流されたり、戦闘機に追われてスピードを上げたりすれば辿り着けない。発見されたからには、敵は待ち構えているだろう。それに、今から出たのでは着陸地点は夜になる。作戦計画ではそんなことは想定していない。誘導準備はできていないだろう。出直すべきだ。これが海軍機なら行かせはしないのだが。陸軍に対しては . . . . 。
行くか? 「行きます」ドゥリトル( James.H. Doolittle)陸軍中佐は平然と応えた。最初に落とす爆弾には、日本からもらった勲章がしっかり縛りつけてある。ここで引き返したら、もうチャンスはないだろう。ハルゼー中将からは「直ちに発艦せよ」と矢の催促だ。日本の攻撃機はもう基地を発進しているかもしれない。急がなくては。「成功を祈る」手を差し出す艦長ミッチャー大佐 ##。
| ## 3年後の4月7日、死に場所を求めてさまよう戦艦大和を、機動部隊の指揮官として東シナ海に葬り去ることになる。 |
1942年4月18日払暁、強風と荒波で全機発艦成功が危ぶまれる中、飛行甲板を蹴って舞い上がる16機###のB25。日本本土初空襲のドゥリトル爆撃隊だ。編隊は組まず、発艦後は各機の判断で思い思いに目標へ向かう。
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### 本当は15機の予定。1機は出航早々、操縦者に発艦の手本を示した後(着艦はできないから)本土へ引き返す筈だった。搭乗乗り組み員の談判によって爆撃隊に編入(その代わり、見本発艦はなくなり、実地テストなしでぶっつけ本番の出撃になった。はじめの数機は、飛行甲板が狭いので、うまく発艦できるかどうか危ぶまれたが、一機の海没もなく出撃に成功)。
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「空母が出た? 好都合だ、返り討ちにしてやろう。」 その距離ならば空襲は2日後の早朝狙いだ。明日になったら索敵機を出そう。潜水艦にも命令を出せ。油断の日本軍。強襲ではなく奇襲になった。東京(12機)・横浜・川崎・横須賀,名古屋(2機)・四日市・和歌山・神戸の一航過爆撃/掃射。三々五々の散発的空襲は、延べ12時間に及んだが、燃料と戦闘機を気にしての浮き足立った各個単機空襲は、大した戦果を上げなかった。
帰還率は惨めなものだった。無事だったのはウラジオストクに着陸した1機のみ(日本に対しては中立国であるソ連に押収されてしまった)。4機は夜間着陸に失敗大破。9機は飛行場を発見できず、機体を放棄して落下傘降下。2機は日本軍占領地に不時着/落下傘降下。死者6、捕虜8(捕虜全員は日本軍軍事裁判により死刑判決。後に5人を減刑。)。
「敵機数機が飛来。被害は軽微」と発表を抑えたにもかかわらず、日本中に噂の波がひろがって行く。だいいち、帝都を侵されたとあっては、軍の面目は丸潰れだ。連合艦隊司令長官・山本五十六大将**は焦りに焦った。日本人はパニックに陥りやすい。日露戦争時のウラジオ艦隊恐怖症は凄かった。このままではその二の舞、総力戦の戦意にかかわる。何とかしなければ。
真珠湾の大博打をごり押ししたこの司令官は、再び大勢の大反対を押し切ってミッドウェー作戦という無理を押し通した。真珠湾と違って今回は、やるべきことをやっていれば楽勝のはずだった。それまでの戦闘で経験した反省すべき点をまったく改めていなかった咎めと、部下が連発した大ポカのために、歴戦無敵の空母4隻と、日本海軍の至宝ともいうべき百戦錬磨・一騎当千の母艦機乗りを一挙に失うことになる。真珠湾に上がった旭日は、僅か半年で、地獄の業火に燃えさかる落日となってミッドウェーの海に沈んだ。
日本の陸海軍航空隊の技量からして、本来ならば日本本土に到達することさえできず、世界中の物笑いの種になったであろうドゥリトル【ドリトル, ドーリットル, ドゥーリットル 等とも】爆撃隊は、日本軍の慢心・油断***に助けられて、とにかく目的を果たした。日本上空で撃墜されたものは1機もない****。奇襲は予想外の大成功だ。にもかかわらず、無事に帰還できた機体はひとつもない〔もしあったら、アメリカ本土へ運んで絶大な宣伝効果を発揮できたろう〕。その「戦果」はゼロに等しく、損害は大きかったけれど、アメリカ国内での政治的効果は圧倒的だった。何よりも、ミッドウェーの大逆転は、東京空襲なしには起こり得なかったのである。太平洋戦争の折り返し点は、ドゥリトル爆撃隊によって刻印されたと言うべきであろう。【ミッドウェー作戦そのものは、ドゥリトル空襲の13日前に内定していたという。】
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**大将 “大”の字の読み方は、陸軍と海軍で異なる。大尉/大佐/大将を、陸軍ではタイイ/タイサ/タイショウといったのに対し、海軍ではダイイ/ダイサ/タイショウと発音した(代将と区別するため、大将のみはダイショウではなくタイショウ。しかし、一般には尉官・佐官と同様、リクグンタイショウ・カイグンダイショウと呼ぶ人が多かった)。
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| ***海軍は、電波傍聴により日本方面へ向けて行動中の艦隊がいる【実は、受信システムの誤解析によるゴーストだった】ことを2日前に探知しており、哨戒を強化していたが効果がなかった。日東丸を含む「黒潮艦隊」は通常任務中にハルゼー艦隊に遭遇または哨戒中の戦闘機に発見され、撃沈されたり銃撃されたりしたのであって、特に遠出をしていたわけではない。また、房総半島に点在する監視所のいくつかは、頭上を低空航過されてパニックに陥りながら、その後も敵機来襲を報告していない。 |
| ****うち1機は、試験飛行中の陸軍三式戦闘機「飛燕」(操縦:梅川中尉)に遭遇。一連射(試作初期段階の武装は 12.7mm 機首機銃2丁と 7.7mm 翼内機銃2丁の計4丁。試作後期には、12.7mm 機銃4丁。量産型は更に武装変更。[蛇足ながら、陸軍では 12.7mm 機銃を機関砲と呼んでいた])を浴び、追いかけられたものの「飛燕」水冷エンジンの燃料不足のため辛くも逃げ切ったというエピソードを残した【もし撃墜されていたら、試験飛行中の試作戦闘機に撃墜されるという不名誉な記録を残すところだった】。その他に、何機かは散発的な対空砲火を受けたが被害はなかった。また、航路を誤って東から進入したドゥリトル隊長機(本文中に述べたように単機飛行)は関東上空で練習機の編隊とすれ違っている。(無武装の練習機では、砲塔を持つ爆撃機に太刀打ちできず、鈍足なため反転接敵を続けることすら叶わない。無線通信機を搭載していないため、警報を出すことも出来なかった。) |
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* このページで述べている内容には、史実に合わない点が多々含まれています。たとえば、空母サラトガは撃沈されたのではなく、修理に4箇月を要する大損害を受けたというのが事実です。当然、空母が被害を受けたことは秘密にされていましたし、それにもかかわらず被雷の噂は広がり、だんだん尾ひれが付きますから、兵士達の間では「沈んだ」という話になってしまうのはよくあることです。また、伊17潜水艦による砲撃はロサンジェルス中心部から180 km 離れたサンタバーバラの製油所に対するもの(2月24日)ですが、これに続いて米陸軍の誤認による対空砲火の乱射がロサンジェルス市であり【 Battle of Los Angels, 対空砲弾1440発を消費】、噂はロサンジェルス市が砲爆撃を受けたとして広がっています。「日本人というのは近眼ばかりで、眼鏡をかけた黄色い猿に過ぎない」という差別感に支配されていたアメリカ兵達にすれば、自軍の戦闘機が歯もたたずに撃墜される事実を説明するには、零戦制作も操縦士も白人でなければならず、事実、機体はドイツ製・操縦士はドイツ人という話は、初期にはかなり信じられていました。引き起こし時が危険なので、急降下爆撃は単機毎に間隔を取って行うものです。編隊はあり得ません。【因みにこのときの命中率は:対空母;82%,対重巡(2隻)88%】 |